2021年文月のかめ

えほん「うさぎとかめ」

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またしても、実家のお掃除ネタである。ハハのガラクタがだいたい片付いたのだが、モノを溜め込むのは存命中の父も同じ。「いつか使うかもしれない」木の切れ端とか、金具とか、空き箱とか、とにかく乱雑に、家のあらゆるところにあらゆるものが散らばっている。散らかっているから、長い間ろくに掃除もなされていない。家中がホコリまみれで、もはや住みたくもない家に化してしまっているが、それでも筆者が死ぬほど努力をしたゆえ、最近各々の部屋にようやく足の踏み場が見えてきた。とはいえ疲労がたまりすぎて本当に死にそうなので、ここ数日は実家に足を向けず、自宅で休養を取りつつ「今月のかめ」なぞ書いている次第。

増殖して家中を占拠している最たるものは、本である。両親ともに読書がすきで、かなりの蔵書があるのだが、大部分はホコリを盛大に被った状態で巨大な本棚を占領したまま十数年間1ミリも動いていないものが大半である。本棚に収まりきらない本もものすごく大量にあり、通路である(!)階段の脇や、かつてコドモたちが使っていてもはや物置としてしか機能してない部屋の床に無造作に置かれていたりする。そしてそれらが十数年間1ミリも動いていないのは同じである。

驚くことに「掘り出し物として入手した」ものの、入手して以来一度も目を通していない本が相当数あった。整理整頓されていないゆえ、こういうことになるのよね…

そんなワケで、本が本であることを父に思い出してもらうために、要る本と要らない本を選別し、とにかく「本は本棚に収まるよう」作業を進めているところである。要らない本は数箱溜まるごとに宅配買取に送り出す。これまでに計20箱以上発送したwww わずかながら買取の査定が通ったものもあり、労働に比してあまりにも微々たるものではあるが、筆者の作業代金としていただいている。

そんな本の中にはコドモの本も何点かあった。「うさぎとかめ」はおそらく筆者に与えられたもの…だとおもうのだけど、筆者の持ち物なら家を出るときに持ち出しているはずなので、ハハが自分用に買ったものかもしれない。当時は絵が好みじゃなかったけれど、改めて見ると作家性の強い美しい絵柄。やはりハハの好みだったのかな、とおもう。かめが花だらけの山を登っている場面はすきで、このえほんを真似して図工の時間に描いたことがあったような気がする。

かめの策略

さて、「うさぎとかめ」の話は、だいたいが、うさぎが余裕ぶっこいて居眠りをしているうちにかめが追い越して競走に勝ってしまう、とゆーかんじなのだけど、このえほんではそう単純ではない。はなからかめが策士なのである。 なんと、かめの方から競走のコースを次のように詳細に指定しているのだ。

「ここから おかをこえ、いけがきを くぐり、にんじんばたけの よこを とおり、そのさきの ふるい にぐるままで かけっこ しよう」

うさぎは、いけがきでもぐもぐ葉っぱを食べて一休みした上に、にんじんばたけでは、満腹になるまでしこたまにんじんを食べ、血のめぐりをぜんぶ胃袋に持っていかれてぐっすり眠ってしまうのである。うさぎが目の前の誘惑に弱いウッカリやさんであることをかめはしっていたのだね…

ちなみに、かめの甲羅の模様はホシガメっぽい。このえほんには競走を見物するやじうまの動物がたくさん登場するのだけど、植生や人工物の造形、動物の種類から見るに、舞台はヨーロッパの農村地帯っぽいきがする。そんなところに野生のホシガメがいるのかどうかはナゾ。

コドモの本は他にも何冊かあって、このえほんと同様、シミだらけ、ホコリまみれである。であるというのに、親戚のコドモにあげるから、取っておいてくれ、と父は言うのよ。生前、ハハはしばしば書店にでかけては大量にえほんを買い込み、ことあるごとに親戚のコドモたちに贈りまくっていて、そのうちのヒトリからは「えほんのおばちゃん」と呼ばれていた。ハハのあとを継いで「えほんのおじちゃん」にでもなろうというのだろうか…

えっと…こんな小汚い本をもらって、コドモは喜ばないと思う…と諭したのだけど(ジブンが当事者だったら絶対いらないレベルの汚さなんで)、名作だから大丈夫だと父は言う。コドモにあげるなら新刊を買ったほうがよいとおもうのだけど、ハハと違って絵本情報を仕入れているわけでもいない父は、的確なえほん選定眼を持っていないとおもわれるため、書店で新たに購入ってのは自力ではちょっとむりかとおもう。かといって、ウチでホコリを被っていたモノで代用するっていうのも…なんか考え方が浮世離れしすぎていて、ちょっと困惑中なのよ…( ̄‥ ̄)